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屠殺のエグザ

第一章第一話:野次馬 と 当事者

 殴られた――そう気が付いた時には、既に固いアスファルトに転がされていた。口の中を切ったのか、鉄臭い味がいっぱいに広がる。
 下校途中の生徒は皆、遠巻きに様子を見ている。さすがに、五人もの札付きに楯突く者はいないらしい。

 事の発端は些細なことだった。村雨晶が下校しようと校門をくぐった所で彼らと肩がぶつかったという、ありがちな話だ。「ぶつかって挨拶ナシか」という定 型文から始まり、最後には「髪型が調子に乗ってる」へと飛躍した。確かに前髪で右眼を隠した晶の髪型は目立つし、彼らが気に入らないというのも解らないで もないが、だからといって――殴られなきゃならない覚えは無い。

 頬の痛みを堪えて立ち上がる。ぐるりは五人に囲まれている。喧嘩なんて慣れていないし、最初から勝つ気は無い。とはいえ、これでは逃げるのも難しいだろう。
「ほら、謝れよお前」
「うぜぇんだよ、そのアタマ」
 両手をポケットに突っ込んで、不良らが口々に晶を責める。やり合うつもりはないが……しかし、好き勝手言われるのは耐え難い。
「うるせぇ、お前らの頭の方がよっぽど奇抜だろうが」
 言い終わるか言い終わらぬかで、再び拳が、今度は腹にめり込む。喧嘩慣れしていない晶には、相手の動きなど見切れるはずもない。
 痛みに腹を抱えた直後、今度は背中から――恐らくは蹴りを食らった。一転、胸を反らす形となり、肺の空気がひと息に吐き出される。
「弱ぇくせに、何イキがってんの?」
 哂う顔が霞む。笑う膝が落ちる。前へと倒れこむ直前、リーダー格らしき男が足を持ち上げるのが見えた。足先は弧を描き、晶の首を――刈る。
 晶は真横へと吹き飛ばされ、地面を転がった。野次馬から、短い悲鳴が上がる。もう十何年も整備されていないアスファルトは、あちこちが欠けていて、その欠片の上を、晶の顔が転がった。ずきりと、額の左に痛みが走る。

 痛い。かつてないほど痛い。
 最後に喧嘩したのっていつだっけ? ええと、確か小学生ん頃か。
 随分ご無沙汰だったからなぁ……痛ぇなぁ。
 そもそも、何でこんなことになってんだっけ?
 校門であの不良どもにぶつかられて、髪型に因縁つけられて、殴られて……。
 って、どう考えたって俺に過失はねぇじゃんか。
 何で俺が殴られたり蹴られたりしなきゃいけないわけ?

 ゆっくりと、体を起こす。額の傷は、思ったよりも激しく出血している。そのまま左眼の上を流れていく血液のせいで、眼が開けられない。髪型が幸いしたか、右眼は問題無いようだ。晶は髪をかき上げ、隠れていた右眼を露出した。

 そうだよ、何で俺がこんな目に遭ってんだよ。
 ああ、なんか――

 腹立ってきた……!

 性懲りも無く立ち上がった晶が面白かったのだろうか、一人が哂いながら近寄ってきて、ふらつく晶の顔面目掛けて拳を――突き出そうとしているのが、解った。
  左足が前、相手との距離は一メートル弱、もう一歩踏み込むには間合いが狭すぎる。上半身が右に捻れた。連動して、右の肘が上がっていく。腰の動きと肘の動 き、そして拳を握り締めるタイミングから、恐らくは引き手は肩の高さまで。相手は晶の眼を見ている。なら、殴ろうとしているのは顔面だろう。踏み込まず腰 だけで拳を打つなら、大した威力にはならない。
 晶は、体重を左側に移した。その時には既に、相手は拳を打ち込もうとしている。
 だが、腰を捻るのが早すぎるし、肩から先に入ってしまっている。あれでは、腕の筋肉分の威力しか得られない上に、僅かに間合いが遠すぎて、重心が安定しない。
  それだけを一瞬で読んだ晶は、自身の顔に向かってきた拳をぎりぎりで避けると、左手を添えるようにして手首を掴んだ。そのまま勢いに合わせて相手の体を寄 せ、自分は体を沈め懐に潜り込ませる。重心が上がっている相手の体はあっけなく、晶の背中の上を転がり、地面に叩きつけられた。
 一瞬のうちに繰り広げられた出来事に、野次馬はもとより、残る四人もただ呆然としていた。我に返り再び晶を取り囲んだのは、実に晶が彼らの中を歩き抜けようとした時である。
「て……てめぇっ!」
 仲間をやられたせいか、それとも反抗されたのが単に気に入らなかったのか、不良たちの眼は怒りに燃えている。晶は立ち止まり、冷静に四人の動きを見た。
 右前の奴は、とりあえずすぐに動く気は無いらしい。対して右後ろの奴と左前にいる奴の二人は、今にも仕掛けてきそうだ。左後ろの奴は、誰かが動くまで待つつもりらしい。
 晶は、要注意の二人が左右になるように、体の向きを変えた。囲まれているのだから、少しでも視界に入りやすい方がいい。
 案の定、動いたことに反応して二人が同時に殴りかかってきた。両者の踏み込みと体の動きから、拳が当たる場所を推測する。更にはその拳が当たるべき場所を、立ち位置を変えることで微調整する。そして、最もスピードが乗ったところで、晶は左後ろへと身を引いた。
 突然目標を見失った拳は、その向こうにあるもの――仲間の顔へと、吸い込まれるように打たれた。互いに見事なカウンターとなった一撃は、容赦無く二人の意識を刈り取っていく。
 晶が避けたのは、この二人の拳だけではない。身を引きつつ体を反転させると、そこには足を振り上げた、もう一人の姿。
 ――予想通りと言うべきか、バカの一つ覚えだな、こいつ。
 彼は、先ほど晶の背中を蹴った奴だ。仲間の動きの後に出たり、背中から襲ったり、そのチキンぶりはある意味尊敬する、と晶は内心苦笑した。
 突然振り返った晶に驚きつつも、しかし上げた足はすぐには下ろせない。後退の勢いを利用して間合いを詰めた晶がその足を取り、男を投げるのにそう時間は掛からなかった。
 残されたのは、リーダー格の男だけである。
 「ちっ」という舌打ちとともにポケットから出された右手には、小ぶりなナイフが握られていた。野次馬にどよめきが走る。
 それでも、晶の表情に変化は無い。まっすぐに、右の眼で相手を見据え、近付いていく。
 男が踏み込んだ。鈍く光るナイフが、直線軌道を描いて突き出される。
 その右手を、晶もまた右手で払い、顔に当たるはずだったナイフの向かう先を変えた。と同時に、左手でナイフを持つ手を下から叩く。指からこぼれたナイフは、素早く下にかざされた右手に拾われた。直後、手首を返した晶が、今度は逆に男の顔へとナイフを突き立てる。
 肌を切り裂く直前、僅か数ミリ手前で、ナイフの刃先は停止した。
 現状把握もままならぬまま目前に出現した刃に硬直する男。その腹に、晶は拳を打ち込んだ。そのまま、男はアスファルトへと転がっていく。
 右手に残ったナイフを、男へと放りながら晶は言った。
「持ち方が悪い。人差し指じゃなくて、小指に力を入れるようにしろよ」
 晶は落ちていた鞄を拾うと、何事も無かったかのように歩き出した。
 喧嘩は、嫌いだ。

「うわー、すごいねあの人。二年生かな?」
「うん、多分。紫って、二年の学年カラーだし」
 群がる野次馬の中、興奮気味の友人から発せられる問いも、しかし少女は上の空で返事を返していた。あの時見せた右眼は、確かに――。
 少女は、静かに、笑った。

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