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朝露の約束

二、五月

 陽介が日谷町へ来て、一月が経った。
 慣れない土地での生活だが、真露や兼人がフォローを入れてくれるお陰で、何とかやっていけている。クラスメイトとも少しずつ馴染み、気持ちに余裕が生まれていた。
  そうなると、かねてから見て回りたいと思っていた日谷町の遺跡が、どうにも気になってくる。相変わらず〝悪魔伝説〟にまつわる詳細は不明なままだったが、 調査のために赴いた役場の観光課に貰ったパンフレットには、幾つかの遺跡が載っていた。しかし、肝心の地図が大雑把過ぎて具体的な場所が判らない。
「真露、ここなんだけど、判る?」
 隣席の少女に、陽介は尋ねた。時間はちょうど昼休みで、真露の机には可愛らしい弁当箱が置かれている。
「ええっと、多分判る、と思う。……ような気がする」
 喋りながら、どんどん真露の顔が自信無さそうになっていく。
「お、何々? デートの相談かよ」
 どこの世界に観光課のパンフレットで相談するカップルがいるというのだろう。いつものように首を突っ込んできた兼人は相変わらず、細かいことを気にせずに件のパンフレットを取り上げた。
「それ、場所判る?」
「ヨースケ、遺跡に興味あんの? ……あー、ちょっと判んねぇなぁ。オレ、あんまこの辺り詳しくないから」
 陽介が知る限り、町のことなら兼人が一番詳しい。良ければ案内してもらおうと思っていたので、目算が外れた格好だ。
「そっか、参ったなぁ。次の休みにでも、みんなで行こうと思ったんだけど」
「誰か、こういう遺跡に詳しい人がいたら……」
 考え込んだ三人に、どこからか待ってましたとばかりに声が飛ぶ。
「遺跡がどうしたって?」
 三人が一斉に振り向いた先には、頭の上に弁当箱を載せた少女が立っていた。
 赤みがかったショートヘアは、およそ櫛通しされているのか疑わしいほどに乱れている。上品に言うならば、野性味溢れる髪形だ。――確か名前は、東大路茅(ひがしおおじかや)だったか。
「ああ、茅か。いやさ、みんなでこの遺跡を見に行こうって話してたんだけど、場所がよく判んなくってさ」
 兼人が茅にパンフレットを投げて寄越す。それを茅は器用に受け取ると、「どれどれ」と視線を落とした。
「ああ、三岡古墳ね。あたし場所判るよ。案内しよっか?」
 茅が白い歯を見せてニカッと笑った。褐色の肌だとそれもよく映える。
「えっ、ホント? 助かるよ、茅」
 危うく計画が頓挫するところだったのだ。陽介は茅を拝みかねない様子で礼を言う。
「大げさだって。ほいじゃあ次の休みに、四人で行こっか!」
 ざわついた教室に、茅の音頭へ応える三人の声が響いた。

 勢い込んだのは良かったが、残念ながらその日から雨天続きだった。茅は強行する構えだったが、真露と兼人はそれほど遺跡に興味があるわけでもない。消極的な二人に反対され、結局のところ計画は一週間先延ばしにされた。
 当日の朝、陽介は祈るような気持ちでカーテンを開け、安堵する。昨夜はやっぱり雨で、目下の不安材料である天気が心配されたのだ。しかし、どうやら夜半には雨が上がっていたらしく、軒に連なる水滴が、光を跳ねて眩しかった。
 見渡す限りの晴天、絶好の遺跡日和。いざ行かん三岡古墳へ!
 思わず口走った陽介に、珍しく帰ってきていた父、大介が怪訝な顔をしたのは言うまでもない。

「そりゃお前、立派に変人だぜ」
 四人で向かう道中、兼人が呆れ顔で言った。
「しょうがないだろ。これだけ待たされたんだ、力だって入るさ」
「でも……遺跡日和って……:」
 憮然と返す陽介に、真露が苦笑する。本当にヨースケって遺跡が好きだよな、とは兼人の弁。
「いいじゃん、遺跡、あたしも好きだよ」
 今日は休日なので、全員私服だ。陽介は長袖シャツにノースリーブのジャケット、真露は背中に大きなリボンが二つ付いた黒のワンピース。兼人は黒い長袖のシャツだ。総じて普通の格好である。
 問題は、一行の案内役である茅。遠目からでも浮いて見える、紅白のおめでたい服装は、十人中十人が認定するであろう巫女の常衣に違いない。
 さらに陽介にとっては信じがたいことに、真露も兼人もそれを突っ込まないのだ。もしかして自分の目にだけ見えているんだろうか、などと裸の王様な考えが浮かんでしまう。
「ねぇ、真露?」
 陽介は真露の袖をくい、と引っ張り、耳元に囁いた。
「誰も何も言わないけどさ、何で茅、あんな格好してるの?」
 聞くは一時の恥、聞かぬと毎晩不眠症。気になって眠れるか、といった塩梅である。
「あれ、陽介知らなかったっけ」
 くるり、と背中のリボンを振り撒きながら、真露は言った。
「茅さんって、大路神社の一人娘なんだよ」
 大路神社とは、日谷唯一の神社だ。なるほど、それならあの服装も納得……出来るわけがない。
「いつもあんな格好?」
「うん」
「神社の娘だから?」
「うん」
「でもそれとあの格好は関係ないよね」
「………………」
 真露、異常に気が付いた様子で呆然。「そういえばそうだよね」と今更のように呟いている始末だ。何のことはない、彼女たちが非常にアバウトな性格であることが判っただけだった。

「うわ、泥だらけ」
 そう言って茅は袴の右足を持ち上げる。朱かったそれは、綺麗に泥でコーティングされていた。
「地面もだいぶぬかるんでるしね。雨の後だし、しょうがないかも」
 かく言う陽介も、靴はすっかり泥にまみれている。真露や兼人も同様だ。
 そう、ようやく到着した三岡古墳史跡は、当然だがアスファルトなどで整備されていない。昨夜まで降り続いていた雨で、地面は泥沼のようになっていた。
「ここがその古墳か。小規模な円墳だなぁ」
 史跡の区画は、そのものがあまり広くない。五十メートル四方の中に、径にして五メートルほどの円墳が三基、規則性なく並んでいた。一応は紹介の看板が立てられ公園の体を為してはいるが、陽介たち四人の他に人影が見えないことを思うと、あまり人気が無いらしい。
「誰が入ってたかっていうのは、ちゃんと判ってないんだけどね。作られたのは三世紀ごろじゃないかって話よ。見ての通り、竪穴式」
 茅が手で指し示しながら解説をする。
「じゃあ、石室には入れないね」
「どう考えても無理よ」
 残念そうな陽介に、茅はあっさりと返す。尤も、仮に横穴式だったとして、普通は入れない。
「発見された埴輪は……古墳一基につき人型二基と犬型一基か、それほど権力があった人のものじゃないんだね」
 古墳の場合、その規模と埋葬された埴輪の量などで、どれくらい権力があったのかを知ることが出来る。三岡古墳は、そういう意味では考古学的価値がほとんど無いのだろう。
「まあね。多分、どっかの豪族の傍流、それも遠い親戚クラスの人が葬られてたんじゃない?」
 既に飽きてしまった真露と兼人は、近くのベンチで休憩している。あの二人は本当に、こういったものには興味が無いようだ。
「それにしても、茅って詳しいね。あの二人、さっぱりでさ」
 陽介はベンチの二人組にちらりと視線を流して苦笑した。
「こう見えても神社の娘だからね。日谷史には詳しいわよ」
 こう見えてもというか、どう見ても神社の娘だが。しかし、真露とも兼人ともこういう話は出来ないので、仲間を得たようで嬉しい。
 と、同時に、役場でも判らなかった〝悪魔伝説〟を知っているかも、という期待が湧き上がってきた。
「〝悪魔伝説〟? うーん、ごめん、聞いたことないよ」
 もしかしたら、と尋ねてみた陽介だったが、残念ながら知らないようだ。しかし茅は、そのまま考え込んでいる。
「ねえ、それってもしかしたら古い民間信仰かもよ」
 茅には、何か思い当たることがあるようだ。
「ずっと前に廃れたはずなんだけど、外に何らかの変容を伴って伝えられてたんだとしたら……有り得ないとは言えないと思うんだけど」
 確かに、地元でこれだけ調べても何も出てこないのだ。可能性はある。
「それってどういう?」
「偶像崇拝だったみたいよ。詳しくは日谷の正史に載ってないから、判らないんだけどね。当時の祭壇、まだあったと思うけど、行ってみる?」
 是非も無い。陽介は即断し、四人は件の祭壇へ向かうことになった。
 ――当然、真露と兼人は付き合わされる形になるのだが。

 茅によると件の祭壇は、今はもう封鎖されている洞窟の奥にあるらしい。封鎖と言ってもロープ一本が渡してあるだけなので、侵入そのものは容易だ。
 暗所を歩くことになるので、四人は一度解散後、懐中電灯を持参の上で大路神社に集合することになった。

「お待たせー!」
 陽介を始め、三人は既に境内に揃っている。そう言って茅が姿を現すまで、既に十五分が過ぎていた。
「あれ、茅、着替えたの?」
 陽介の呈した疑問の通り、ドロドロだった袴は綺麗になっていた。なるほど、出てくるのに時間がかかったのも頷ける。
「大路神社いちの実力派巫女が、小汚いカッコしてらんないっしょ?」
 そう言って茅がくるん、と回ってみせる。ちなみに、境内にも社務所にも、彼女以外に巫女は見当たらない。
「けどさ、汚す度に着替えてらんねぇだろ。っつーかお前、しょっちゅう汚してんじゃん」
「大丈夫よ、まだあと二十九着あるわ」
「茅さん……多分そういう問題じゃ……」
 真露が苦笑する。陽介も茅のタンスの中身を想像して、思わず吹き出した。
「さ、そういうどーでもいいことは置いといて。例の洞窟に行きましょ。ここの近くだから」
 そう言って茅が元気良く歩き出し――水溜りを躊躇なく通過する。
 ああ、もう汚してるし。

 その洞窟は、湿った匂いがした。長い間誰も入っていないのか、壁と――所々地面にも苔が生(む)している。ひび割れた壁面からちょろちょろと流れる水の音。ざり、という四人の足音がそこに混ざり、響く。
「苔の生えてるトコは気をつけて。滑るからね」
「きゃあっ!」
 茅が注意した直後、真露が後ろ向きに転ぶ。しかし、頭を打つことはなかった。
「っとと、大丈夫? 真露」
 偶々後ろを歩いていた陽介が、とっさに受け止めたのだ。
「あ、うん。ありがとう、陽介」
 真露が肩越しに陽介を見る。真露の身体は、思っていたよりずっと軽かった。
「おい、抱き合ってねぇで前行ってくれよお二人さん」
 兼人の、背後からの呆れた声に、二人は弾かれるようにして身体を離す。先の方では、茅が何やら含みのある笑みを浮かべていた。

 祭壇はほとんど朽ちていた。木で組まれた粗雑な造りで、台座と思われる中央部がぽっかりと欠けている。
「無いね」
「無いわね」
「無ぇな」
「無いよね」
 ――そこに、偶像は安置されていなかった。祭壇そのものも腐食が激しく、民間信仰の詳細を知ることが出来るようなものを見出すのは困難極まる。〝悪魔伝説〟にまつわるものかも知れないが、これでは何も特定できない。
「結局、無駄足かぁ」
 腐食の程度から、言われているほど古い年代の物では無さそうだ、という推論を立てた上で陽介が言った。目的は〝悪魔伝説〟なので、それだけでは収穫が無かったと言っていい。
「じゃあさ、もう出ようよ。ここ暗いし、狭いし、怖いよ」
 真露が眉をハの字に曲げて言った。心なしか顔色も良くない。
「何だよ、真露って暗いトコ駄目だったっけ?」
「いいよ兼人。もう僕の用は済んだわけだしさ」
 そう言って陽介は、真露に笑う。真露は、少しほっとした顔をした。

「陽介ってさ、真露ちゃんに甘いよね」
 来た道を引き返す最中、茅が言った。
「何だよ茅、妬いてんのか?」
 隣を歩く兼人が、からかい気味に応える。噂の二人は、少し前を歩いていた。
「妬くかバカ! あそこまで他人に気を許す真露ちゃんは珍しいねって言ってんの」
「ああ、確かにな」
 兼人は思案する。真露は人見知りをする方ではないし、誰にでも愛想良く応対する。しかし、決してある程度以上の距離には踏み込ませない。誰かと特別親しくするなど、不思議と無かった。実際、陽介が来るまでは真露と遊びに行った記憶など全く無い。
「ま、あれだ。真露にも何か思うところがあったんじゃねぇの?」
 特に興味も無さそうに、兼人は話を切り上げた。洞窟の出口まで、もう少し。
 その時、事件は起こった。

 最初に気が付いたのは、先行していた陽介だった。
「何? この音……」
 地鳴りのような音が、微かに、しかし断続的に聞こえてきたのだ。それは少しずつ、そして確実に大きくなっていく。
「地鳴り? 何だろ……」
 茅たちにも聞こえたのだろう、立ち止まり、耳を澄ましている。
「怖いよ、陽介」
 真露が、陽介の袖にしがみついた、その時だった。
 地面が大きくうねったかと思うと、それまでとは比較にならない大きな音が響く。大地を、巨大なハンマーで叩いたような音だ。
「くそ、地震かよっ!」
 叫ぶ兼人も隣の茅も、強烈な横揺れに立っていられず膝を付く。洞窟の中でこの状況は危険だ。迅速に外へ出たいところだが、見える光はまだ小さく、この揺れでは這って進むのもままならない。付いた肘から水が染み――水?
「まさか……」
 いつの間にか地面を流れている水、地震。何かを叩くような音、壁のひびから流れていた水。そして昨日まで降り続いていた雨――。
「まずい、崩れるぞ!」
 雨で地盤が緩んでいたところに、この地震だ。地面に溜まっている水は壁面から流れ出した物。流量が増えているということは、既に崩落が始まっているからに他ならない。
 兼人の言葉と同時に、洞窟の天井から欠片が降ってくる。背後で、一際大きな衝突音がした。揺れはまだ、収まらない。
 ついに、頭上の岩盤が天井から剥離した。真っ直ぐに、陽介たちに向かって落ちていく。
「真露っ!」
 陽介は真露に覆い被さった。それだけで守れるとは思わないが、体が勝手に動いた。
 仰向けに転がった真露の、目の前に陽介の顔がある。その顔は、必死だった。

 どうして?
 わたしを、守るため?

 崩落は止まらない。巨大な岩盤は、確実に陽介を圧し潰すだろう。

 ――どうする? 初めてでしょう、貴女が人間に受け入れられたのは。

 誰かの声が聞こえた。真露にとってそれは、懐かしく、見知ったものだった。

 ――貴女が、望むなら。
   わたしが、力を貸すわ――。

 陽介を、

 陽介を、死なせない。

 真露は、それを、受け入れた。

 迸る閃光、刹那の後、陽介を潰すはずだった岩盤は消えていた。
「……一体、何が……」
 事態を飲み込めない三人をよそに、真露が激しい揺れをものともせずに立ち上がる。その目は、紅かった。
「真露が望んだ。降ってくる岩をいちいち砕くのも骨だ。時間も無い。取り急ぎここを出る。異論は無いな?」
 陽介は我が目を疑った。これが、真露? 一体何があったというのだろう、この凛とした佇まいは。
「術法、秘、〝空間圧縮〟、飛翔」
 一瞬の眩暈の後――。
 陽介たちは洞窟の外に放り出されていた。直後、洞窟が完全に崩れ落ちる。僅かでも遅れていたら、恐らく命は無かっただろう。それくらい微妙なタイミングでの脱出劇だった。
 暗所からいきなり外へ出たため、目が眩んでよく見えない。陽介たちは倒れた格好のまま外に出されたので、自然と真露を見上げる形になる。
「真露……君は……」
 揺れは、もう収まっている。死にかけたショックもあり、陽介はそれだけを言うのがやっとだった。
「真露が望んだと言ったろう。陽介、お前を助けたいと彼女が言った。だから力を貸したまでだ」
 違う。彼女は、真露じゃない。陽介は、確信に近いものを感じていた。何か、別のものになっている。
「君は……誰なんだ……?」
 陽介が問う。眩みぼやけた視界の中で、真露はゆっくりと口元に手を当てると、笑みを浮かべた。逆光にさえ映える、妖艶な笑みだった。
「わたしは霧代真露、日谷の〝悪魔〟だよ」

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